HSPの感覚 痛みと動悸のカラクリ

外出が苦手なHSPの方は多いと思います。わたしもその一人です。電車に乗っている時には強制的にキャリーバッグで連れ出された家猫になったような気分に陥ります。周囲を見まわして入ってきてしまう情報に圧倒されるのです。鳴き声こそ立てませんが内心ビクビクして車内で過ごす時間を忘れようと必死になっています。電車がレールの上を走る大きな音、座っている沢山の人の姿、話し声、がなだれ込んで来るように感じるのです。その感覚を堰き止めるのはなかなか骨が折れます。

また、電車の車両そのものからくるエネルギー情報も脅威を感じる要因となってしまいます。電車を作った方々への感謝を通り越してしまうのです。座席シートの快適さ、何本もの支柱、ガラス窓、ドアのヘリに組み込まれたゴム製クッションに至るまで…なんと大勢の方々の思いや力が集結しているのだろうと圧倒されてしまうのです。ごめんなさい。いいえ、これは謝ることではないですね。善悪でジャッジされることでもありません。ただ、一つの特性です。

HSPの方々は様々な場所で同じような感覚に陥られるのではないでしょうか。

例えば高速道路を走る車に乗せていただいている時にも、なんと大きな思いと力の集結の現れなのだろうと見ているだけで感じ取ってしまうのです。どれだけの機械が稼働されたのだろう、またそこには、その機械を作るためにも沢山の人手が掛かっている…とキリがありません。行き交う車の数にも圧倒されてしまいます。そのエネルギーを感じ過ぎてしまうのです。車は車体の中に沢山の部品が組み込まれています。その部品と仕組みを設計した頭脳の数、図面から部品に起こした人手の数々…なんと多くの方々が一つの車、道路、電車を作り出すのに関わっているのでしょう。

敏感過ぎて感覚が痛んでしまうことがあるのです。

魂の記憶を取り戻し、宇宙とつながる

わたしは忘却ゲームを味わい尽くしました。

これからは新しい章をスタートさせるという宣言をします。

まだまだ魂本来の記憶を完全には取り戻せていません。

あまりにも長くこの地球人生を歩み、苦しみを選択し続けてしまったために

本当の「好き」「うれしい」「たのしい」

本当の「嫌い」

に、何重にも何重にも殻をかぶせてきてしまったからです。

今、「好き」と確信できているものは

背中にあたる太陽のあたたかさがじんわり沁みていく感じ

このひとつです。このひとつがよりどころです。

あまりにも多くの「好き」に蓋をし過ぎて、自分の本当のこころの羅針盤がどこを指しているのかわからなくなってしまいました。長いこと放置してしまいました。子供の頃はまだまだそこに近かったのに、遠く離れてしまいました。それらを少しずつひも解いていくと誓います。

あまりにも多くの「嫌い」を受け入れ続けて我慢して当然と思い込んでしまったために、受け入れられないものも受け入れてしまう癖がついてしまいました。そこから脱却すると誓います。

地球人生60年を目前にして、自分につき続けてきた嘘の限界が臨界点に達し動けなくなりました。本来のエネルギー溢れる「無敵の子ども」だった自分を取り戻す作業を、もう一度始めると誓います。